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これからを生きる boys & girls ― 岩崎雄造

勉強しない子供達・させない社会 2010.02.10

 いやー、勉強しなくなりましたね。六年前の各生徒の平均の自宅学習時間は一時間くらい。今年あたりでは四十分もしていたらいいほうで、〇分という勇者もチラホラ見られます。そんな子等も塾へ来たらごく普通に真面目に勉強している。ちょっと奇異な感じがするのですが、要は塾での勉強の中に自宅学習の分も入れているのですね。塾からの宿題は毎回出されますが、学校からは、少なくともコンスタントには出されていない。塾の宿題をやってしまえば、あとはやることがない。テレビを観るのはまだいい方で、コミック誌・それにケータイでのメールに何時間も費やされてしまう。勿論、何を見てるのやらインターネットに釘付けの子もいます。

 子供達が勉強から離れていってることは明らかですね。三十七年この仕事をやっていますが、全体的な学力低下は十年以上以前から切実に感じていました。そして、ここ三年間、急激にそれに拍車がかかっています。勉強する、しない以外にも、話を聞こうとしない、あるいは聞き取れない子の出現。こちらがいくら丁寧に説明しても、「それで、結局、答えは何なん?」と尋ねてはばからない。そんな場面が多くなりました。

 一体どういうこと?と周囲を見回してみると、あるわあるは、子供達を机に向かわせない原因が山とあるのに気付きます。決して子供達自身の質が低下したのではありません。大人たちの作り上げた社会全体の問題に行き当たります。
まずは、経済面。いわゆるグローバル経済の大波が競争の質を変化させました。一丸となって生産倍増や品質向上を実現させるというより、いかに目先の新しいものをとか「隙間産業」とか、いわゆるアイデア・工夫路線に活路を見出すことが本流となってきて、その最たるものが、かの悪名高き金融商品。それが自滅して大騒ぎしている訳で、このところ「がんばり」とか「誠実さ」といった要素を抜いて利益追求が行われてきたのですね。精神よりもアイデア・内容よりも数値が評価される。近代的経済から言えば、あたりまえといえばそのとおりですが、そんな社会が、子供達に向かって発言することばは一体何でしょう。せいぜい「普通に働いて適当に金使ってください」くらいしか思いつきません。おまけにこれまた悪名高きあの「ゆとり思想」。それをプラスすれば、「あまりがんばらないでゆとりを持ちなさい」となる。こうなれば一体何を言っているやら訳がわからない。当然子供達も、そのテンションの大人の姿をその目で見ることになる。そんなものは何の「お手本」にもならないですよ。

 ふりかえって見て、私達も少年のころは、大人の「姿」を見てひとつひとつを感じとっていきました。あのころの大人は己の姿で自分を無意識に表していましたね。善いも悪いも、身近にたくさんそんな「姿」があった。大袈裟に言えば、人生のお手本が様々豊富に子供の前にあったように思います。それに各人が持っていた熱意とか本気のレベルが今より数段高かった。先生が自分のことはさて置き、一生けんめい教えてくれたら、自然に生徒達はつき合います。いわゆる引っぱられるということですね。今はどうも「建て前」が前面に出て本当の姿が引っ込む。そんな「建て前」から出た言葉は決して子供に届かない。そんな訳で、このところ、私に関しては、子供に対してよりも大人たちに「必死になって己を晒して子供に対峙しなさい」と言いたい気持ちが強くなっています。対峙しないならば、もっと己の「姿」を確立せよと言いたい。(大きなお世話でしょうが)それが、子供に思いを伝えるコツのようですね。自らのつまらぬ虚栄や保身を離れたところで、愛とか道義とか美学を自信を持って固めてほしいですね。どうも御大層なことを言ってしまいました。

 それからケータイを含めたインターネット。これもバカにならない。これらが実に便利なものであることは認めますが、半面便利なもの程有害であることも、念頭に置かねばなりません。インターネットなどは、つまるところ、頭脳へのストックの軽量化ですね。頭に物事を入れるより、インターネットを見た方が早いのですね。頭に物を入れるという基本的な行動が、どんどん軽視されて、妙なことにみんな「物知り」になったような気でいるのですから、どうも具合が悪い。いちいちケータイやインターネットを確認していて会話など出来ようはずがない。現代の二十歳ぐらいの人たちをみていると実に会話が下手くそですね。特に男の子は話し下手が多い。反して女性はやたら喋るが言葉・話し調子が類型的でうるさいだけ。要は「心」のやりとりがほとんどできていない。頭の中に入れない言葉は熟成されない。熟成されない言葉では「心」は伝わらない。だからひとりぼっち。孤独・癒されたい。ヴァーチャルな機器への耽れ。そんな循環が多く見られるようになりました。

 がんばっても、世間はあまりそれを評価してくれないし、尊敬する大人の姿も見られない。少年達を動機付けるリスペクト(尊敬・敬意)の感覚の喪失。そして情報化社会という怪物。それはだまって口を開いていても膨大雑多な情報を入れてくれる。「姿」として大人になることの意味の喪失。世の中には、これまで熱意と汗で先人が築き上げてきた地盤の上で、急速に冷却していってるように思えてなりません。子供も大人と同様にそんな環境の中で、生きた手本を失い、比較的恵まれた自分の部屋の中で、幻影の中に浸りながら、実際に自分を待ち構えている現実・未来へのイメージを形成することなく、又それらの突破口としての価値を持つ「勉強」から微妙に遠ざかりつつあるのです。そんな状況の中で子供達は何を目標に、どう自分をコントロールして成長していけばいいのでしょうか。勿論、単に形だけで大人になることは簡単です。精神面の成長、それを支える学習という観点から考えてみたいと思います。

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